可愛い女の子だった。当時小学5年生だった私よりはるかに小さかったから、小1~小2年生といったところだろうか。今となっては、その子の名前すら思い出せない。ただ、遠慮がちだけど、しっかりとした眼差しは、わずかながら私の脳裏に焼き付いている。
当時私は、熊本市内のS町の郵政官舎に住んでいた。関係者以外の方が「郵政官舎」と聞いてどういうイメージを持たれるのか、住人だった私は想像出来ない。が1つ言えるのは、とにかくボロかったということ。まるで落語に出てくる貧乏長屋の様な体だった。そこで官舎住まいの子ども達は、年齢も近かったし、親の職業も同じという気安さもあって、毎年夏休みに入ると自然発生的に「ラジオ体操」をやっていた。
離れた場所から私達のラジオ体操の輪に、入りたそうに一人寂しく見ていたのが、その女の子だった。女の子は、郵政官舎と道1本隔てたところに建つ、これまたオンボロアパート(失礼)に住んでいるらしかった。らしかった、というのも、私達はその子の存在をそれまで全く知らなかったのだ。私達のラジオ体操を実際に仕切っていたのは、最年長の6年生「Oちゃん」だった。父兄は来るけれど、申し訳程度にしか関わっていなかった。実質、リーダー格のOちゃんがラジオ体操を取り仕切っていたのだ。
Oちゃんから歓迎の「OK」が出て、女の子は翌日からラジオ体操に加わることとなった。体操をする時、その女の子と私は隣同士になった。自然、何気ない自己紹介を交わしあって、ごく自然に友達になっていった。
自分で言うのも何だが、私は子どもらしくない子どもで、他人様を見るところがあった。つまり、誰とでも仲良くなれるおおらかさに欠ける子だった。だから、よりによってそんな私の隣になった女の子を(可愛そうだ……)とさえ思った。
ところが、女の子と私は妙にウマがあった。それはひとえに彼女の控えめな性格によるものだと思う。年下ながら、彼女は万事を私に合せてくれた。そして私は、その子の家に遊びに行くことになった。夏休みの最終日8月31日のことである。歳月とともに記憶も大分薄れてきたが、日にちだけはハッキリ覚えている。楽しかったラジオ体操の「最後の日」だったからだろうか。
その子の家に行く前に、思いもよらない意外な邪魔が入った。母が、“あの子とは遊ばないで„ と告げたのだ。私は言われていることの意味が分からなかった。だから母に “なんで? „ と食い下がった。母がなんと説明したか、正確な言い方は忘れてしまったが、その子の家庭は、お父さんの居ない複雑な家庭だから、ということだったと思う。
そこが私の駄目なところなのだが、私は言いたいことは呑み込んだ。私は、自分が意見することで、家の中に揉め事が起きるのが何より嫌だった。揉め事を起こさない為だったら、たとえ芽生えたばかりの友情であっても、無きものにするのさえ全然厭わなかった。
ただ私は母に内緒で、予定通り女の子の家に遊びに行った。母から付き合いを禁止される前に、家に遊びに行ったら、招待されたお礼として女の子へプレゼントしようと、「お土産」を買っていたのである。それは、小さな “風鈴” だった。白地に赤い苺模様の可愛らしい風鈴。その女の子みたいな可愛らしい風鈴。私は、その風鈴を女の子にずっと持っていて欲しかった。勝手な言い分だと思う。友達としては付き合えないが、私の好意は示したかったのである。私は自分勝手に〝多分もうあんまり遊べない〟という風なことを女の子に言い捨ててしまった。彼女は、最後まで万事控えめで、私の都合に黙って合わせてくれた。
私の通っていた小学校は、当時全国一のマンモス校で、1学年が9クラスもあった。毎日知らない人と廊下ですれ違っていた記憶がある。そのせいかは分からないが、私は苺の風鈴を持って行ったその日から、校内では1度も女の子を見かけなかった。見かけても、声を掛けたかどうかは曖昧なのだが。
今考えると、随分傲慢な振る舞いをしたものだと思う。自分のアタマで考えることを避けて、大人が言い放った “偏見” の渦にやすやすと呑み込まれてしまった。その反省を経て、私は、偏見を異常に疑う癖が身についたようだ。例えば、ゲームに対する様々な偏見の中でも、「ゲームは人間的な情緒を奪う」といった類の論評には、沢山の???が頭を過ぎる。むしろ、ゲームという土壌は、情緒たっぷりにリアルの世界を生きている人が、ちょっと立ち止まりたい時の、「作戦タイム」的な機能を持った場なのだと思う。コミュニティ系RPGオンラインゲーム『MILU』の住人も、血の通った人間味溢れる人々が、大勢うごめいている。
Writer:ひねもす