《 日本・スウェーデン外交関係樹立150周年記念 》
【開催期間:2018年7月28日~2020年3月29日】(自/東京~全国各地を巡回~至/神戸)
私は、「そばかす」も「三つ編み」できる長い髪も持っていない。となるとあとは、「長靴下」しか真似るところはない。小学校低学年の頃だったと思う。私は、わざと柄違いの長靴下をはいて、 “ピッピ” に近づいた気分を味わった。純粋に憧れていたのだと思う。当時の私にとって、ピッピは、ヒロインというよりも「ヒーロー」だった。
『長くつ下のピッピ』は、スウェーデンの児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンが、1945年に出版した、「世界一強い女の子」の物語である。このそばかすだらけの、三つ編みの、長くつ下を履いた女の子、ピッピの奇想天外な物語は、またたくまに世界中の子ども達に支持され、現在まで70年以上にも亘り読み継がれてきた。
ピッピは、そこら辺にいる、フツウの9歳の女の子とは全く違う。『長くつ下のピッピ』の面白さは、なんと言っても、ピッピが「型破りな性格」で、周囲の大人たちが思いもつかない言動をとる痛快さにある。お母さんは既に亡くなっていて、船長だったお父さんは、海の上で行方知れずになってしまった。そんな悲しくて辛い境遇にあっても、めげることなくいつも明るくて、とてつもない力持ち。ピッピの縦横無尽な活躍に、同じ年頃だった私は(凄い子どもだ!)と目を白黒させながら、夢中になった。
1945年に第1巻が刊行されて以来、『長くつ下のピッピ』は子どもたちに愛され続けている。その理由を探るために、数十年ぶりに読み返してみた。まず1番に思いついたのは、「自己投影」の楽しさである。ピッピはこう動いた。じゃあ、私ならどうする? ピッピはこう言った。じゃあ、私ならなんて言う? ピッピは超行動派だから、私達読者は退屈する暇がない。
(もし私がピッピだったら……)と最も真剣に考えたのは、 続編の『ピッピ船に乗る』でのこと。船長だったピッピの父・エフライムは、航海中に陣頭指揮していた船が嵐に見舞われて海に転落。そのまま行方不明になってしまう。ピッピも他の乗組員と共に海に投げ出されたが、幸運にも無事に漂着して助かる。その後、父が将来の生活に備えて用意してくれていた「ごたごた荘」に辿り着く。隣家に住む兄妹と仲良くなって、新たな生活を送る中、消息の途絶えていた父が、元気な姿で突然現れる。そして、再び父と一緒に航海の旅に出ることになったピッピ。仲良くなったばかりの友だちとの別れの悲しみにくれるトミーとアンニカ兄妹。まさに船が出ようとしたその時、〝自分の為に悲しむ人がいるのは耐えられない〟とピッピは、父との同行を撤回。トミーとアンニカが暮らす町に残ることを父に告げる。
この件を読んだとき、(ピッピは、フツウにいい子だなぁ! )と思った。と同時に、(親と友だちを秤にかけて、友だちを選ぶんだなぁ)と羨ましくなった。中3の2学期に父の転勤が決まり、友だちと離れるのが嫌で一人残ることを決めたものの、夏休みに私の様子を見に来た7歳離れた妹の顔を見た途端、親元が恋しくなり、結局家族と一緒に引っ越した。私には、そういう過去がある。
友だちって、子どもにとっても大人にとっても、キラキラした宝物みたいな輝きを放つものだと思う。だが、家族という強力な「縛り」には敵わない。やはり、子どもの選択としては家族を選ぶだろう。それをピッピは易々と友情を選んだ。(さすがフィクション。好きだから、というその1点で選べるなんて。)
小学校低学年の頃の私は、『長くつ下のピッピ』の、どの辺が好きだったのだろう? 今では思い出す術もないが、おそらく最近読んだ私の感性とは違う感性が反応していたのだろう。では90歳のお婆ちゃんになった私は、また 『長くつ下のピッピ』に反応できるだろうか。
コミュニティ系RPGオンラインゲーム『MILU』で、友だちになった人を「ミルトモ」と呼ぶのだが、私の「ミルトモ」の中には、『MILU』創成期から『MILU』をプレイしている強者もいる。途中、何度か『MILU』を離れては戻って来る、を繰り返して、現在も熱烈に『MILU』をプレイしている。さながら、『長くつ下のピッピ』同様、『MILU』は、ゲーム界の「ロングセラー」といったところだろうか。
Writer:ひねもす