一編の詩がきっかけで始まった物語
1月下旬、週末の早朝に放送された1本のドキュメンタリードラマに私の涙腺は緩んだ。
番組名は『日本のチカラ』。公益財団法人民間放送教育協会が提供している良質のドキュメンタリーである。系列TV局の枠組にとらわれずに放送している極めて稀な番組だ。
宮崎放送が制作した番組のタイトルは『50年越しのありがとう。宮崎~青森文通物語』。
世界農業遺産に認定された美しい棚田が拡がる宮崎県高千穂町。標高450mの風光明媚な地で、御年68歳の冨髙リエ子さんは、ご主人の徹さんと共に先祖代々の米作農家を営んでいる。彼女には特別な友達がいる……いや、いた。それは30年余の間、「文通」だけで交流を続けた「心の友」だった。その文通相手の工藤やさ子さんが住んでいたのは遠く離れた青森県。二人の「縁」を繋いだきっかけが、「縁は異なもの味なもの」なのである。
遡る事、50年前。携帯電話もメールも無い時代。当時18歳のうら若きリエ子さんが、購読していた雑誌に「一編の詩」を投稿した。
〖東京〗
どうしても東京へ行くという兄ちゃんを一人悲しくホームに送る早く戻ってきて!!
あんなにおこった父ちゃんも 柱の陰より ぶこつい手で顔をおおう
その詩を、たまたま目にしたのが青森に住む1歳年上のリンゴ農家の息子、工藤義人さんだった。詩に共感した青年から彼女の元に手紙が届いた……「文通しませんか」。
主役交代がターニングポイント
まだ独身だった義人さんと暫く文通仲間としての交流が続いた。その後、それぞれに結婚相手を見初め、それぞれの家庭を持つ身に。通常であれば、お互いの結婚を機に文通は途絶えるはずだが……。実はここから、この半世紀に及ぶ感動のドラマが始まるのである。
なんと、互いに家族を設けた後も文通は延々と続く。然し、リエ子さんの文通相手は義人さんではなく、妻のやさ子さんに変わったのだ。「夫の文通相手」……常人ならば嫉妬の対象の相手のはずだが、肝っ玉の据わったやさ子さんは色恋沙汰の感情などはお構いなし。旦那さんをさて置き、自らが筆を執り文通の相手役を取って代わったのである。
「米」と「リンゴ」。生産する作物は違えども同じ農家の嫁同士。妻として母として、共通の話題には事欠かない。子育ての近況や悩み事相談を綴った二人の交流は、いつしか30年余の月日を数えていた。血縁関係が無い他人同士故に、デリケートで赤裸々な内容も含まれていたはずだ。年を追う毎に便りの数が増えて、お互いの「喜怒哀楽」の感情を共有するに至り、次第に姉妹同然の間柄が醸成されていったのかもしれない。双方が交わす手紙の文末には、常に「或る一言」が添えられていた。「……いつか会えるのを楽しみに」。
だが、運命の残酷な仕打ちで、二人の願いが叶う日は訪れなかった。齢50を過ぎて、子育ても一段落する頃に、突然「ガン」の病魔がやさ子さんを襲う。日々、多忙な生活を送っていた彼女の身は、いつしか余命間も無い病に冒されていたのだった。
あまりにもあっけない幕引きだった。すぐさま弔いに行きたい気持ちはあったのだが、盆も正月もない多忙な農家の事情がそれを許さない。まだ見ぬ相手に「いつか会いたい」と、願い続けた日々に終止符が打たれようとしていた。だが、失った友人に対するリエ子さんの切なすぎるほどの思慕は、決して途切れることは無かったのである。
念願成就の日に降り注ぐ涙雨
やさ子さんが亡くなって15年の歳月が過ぎた昨年の10月。米農家の稲の刈り取り作業が一段落する閑散期。愛妻に先立たれた夫の義人さんから「10月の中頃にふじのりんごが一番最盛だからその時に来たほうがいい」との招待を受け、やさ子さんのお墓参りを決心。かねてからの念願だった弔いの旅。冨髙家の夫婦は長男家族を伴って青森へ向かった。
待ち人の為に奮発した高千穂牛の手土産を抱えて空港に降り立つ富高家の家族。出口の先には、義人さんの姿があった。次女の家族共々、自宅から車で2時間を駆けて迎えに馳せ参じたのであった。宮崎と青森。遠く離れた地で暮らしていた見知らぬ者同士が、「一通の手紙」が縁で知り合ってから50年目の秋に、ようやく初対面を果たした二つの家族。
義人さんは「親友」から「心友」に変わった友人夫妻を連れて、市内の観光スポットを案内。青森魚菜センターでは地元名物「のっけ丼」をご馳走。工藤家では、郷土料理の「せんべい汁」で歓待。遠路遥々、亡き妻の墓前に手を合わせに来た冨髙家ファミリーを、精一杯温かくもてなす義人さんの表情は、積年の約束を果たした喜びに満ち溢れていた。
親戚の契りを交わし高揚した歓迎会の翌日は、やさ子さんの眠るお墓へ。涙雨の如く降りしきる小雨の中、「会いたかった」やさ子さんの墓前で万感の思いの合掌。念願がようやく叶った瞬間だった。“ やっと会えた……” 。リエ子さんの胸中は如何許りだっただろうか。
墓参りを済ませた一行は、やさ子さんの兄が営むリンゴ農園を訪問。今が旬の、たわわに実ったリンゴの収穫を体験して、在りし日のやさ子さんを偲んだ。その際に、兄の恭伸さんが亡き妹の文通相手にボソッと呟いた言葉が心に刺さった。
――曰く、“ 人間の絆は優しさから生まれてくると感じている ” 。
「文通」という前時代的なツールで結びついた「絆」は、50年の歳月を経るに連れて次第に「情」が通い、そもそも赤の他人である二つの家族は、遂にひとつの家族になったのだ。ある意味、親戚以上の「血縁関係」と同等までに昇華したのかもしれない。
「遠くの親戚よりも近くの他人」という諺があるが、この場合は「近くの親戚より遠くの他人」が、心の支えになった真逆のケースだ。情報通信網が発達したこの時代に、よもや前時代的な「文通」で脈々と繋がっていた「絆」があったとは驚きであり奇跡である。
姿を変え現代に受け継がれる文通
大方の人間は齢を重ねる毎に、長い人生で営々と築いてきた人間関係を少しずつ整理する傾向がある。御多分に漏れず、筆者も世間同様に付き合う相手を選ぶような境地に差し掛かってきた。が、この物語の主役達はいささかも「縁」を絶つことをせず、連綿と「絆」を紡いできた。「文通」とはからっきし縁が無かった筆者だが、番組を通して一途に「人」を思いやる優しさ、温かさに心が揺さぶられた。我が身を振り返り、襟を正せねばと思う。
ふと考えてみると我々は普段、仕事やプライベートのシーンでは連絡手段としての電話の他、PCやSNSを駆使して、日々せっせと文字情報を交わしている。否、文字のみならず、画像や動画も手軽に送れてしまう時代だ。が、手軽過ぎるが故に、相手を不快にさせぬような配慮は必要だ。もはやEメールは現代人にとって、必要不可欠なコミュニケーションツールになったが、やはり社会人としての最低限のルールやマナーは弁(わきま)えたい。
文通だと事前に便箋や封筒を買い揃え、筆やペンを用意。誤字で何度も書き直した後、切手を貼って郵便ポストに投函……。この一連の面倒くさい行為が一切不要のEメール。アナログとデジタルの違いこそあれ、これこそが「現代版文通」の姿ではなかろうか。
Author:ブラックスワン