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父親の仕事の関係で、転校を幾度となく経験。その行く先々で、 “お地蔵さん” に出会った。目に留まらない人も大勢いるのだろうが、私はむしろ、行く先々でお地蔵さんを探し、お地蔵さんは必ず、居た。幼い頃から、仏壇に手を合わせる機会が、普通の生い立ちの人に比べて多かったと思う。その延長線上で、お地蔵さんを見つけたら、とにかく手を合わせた。
数年前、近所の長老に、家の近くのお地蔵さんの謂れを尋ねたときにつくづく思った。親しみを持っていた割には、私はお地蔵さんのことを何も知らない。あまりに身近過ぎて、知っている気になっていたと言うべきか。まず、お地蔵さんの正式名称は、「地蔵菩薩」と云うそうだ。 “菩薩” と言えば、仏教界では「如来」の次に位が高く、成仏を求める修行者を指す。菩薩は、まだ悟りを開くには至ってない修行者ではあるが、人々と共に歩み、教えに導くことから庶民の信仰の対象となっていたらしい。
お釈迦様が亡くなられてから56億7千万年後(!)に、お釈迦様の後を次いで、救世主としてこの世に君臨するのが「弥勒菩薩」、後の「弥勒如来」である。日本で弥勒菩薩と言えば、腰を掛けて足を組み、右手をかるく頬にあてるポーズの像が有名だろう。これは、どうしたらお釈迦様の救いから漏れた人々を救えるだろうか、と弥勒菩薩が思索に耽っている様子を表わしている。その弥勒菩薩が悟りを開くまでの長い間、人間の世界を救う役割を担っているのが、地蔵菩薩であるというのが、仏教界の定説である。
つまりは、今を生きる私達人間にとって、お地蔵さんは、《唯一無二》の頼れる “ヒーロー” だ。私達の困りごとに向き合って、私達を解決の方へと導いてくれるのだ。
お地蔵さんが、いかに市井の人々を助けてくれているか。1つ1つ具体的に見ていこう。まず、我々人間は、極楽往生するまでは《輪廻転生》を繰り返し、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)を巡り苦しむ、とされている。お地蔵さんは、その六道を廻って我々人間に救いの手を差し伸べる。
またお地蔵さんは、親より先に亡くなってしまい《賽の河原》(冥土の途中にあると信じられている河原)を彷徨う子ども達を救う役割も担っている。お地蔵さんには子どもが喜びそうなお菓子などが、よくお供えしてあることから、お地蔵さんは子ども限定の仏様なのかと誤解していたが、あくまでも子どもを守るのは、お地蔵さんの沢山ある任務の1つなのだ。
他にも、病気を治してくれる《身代わり地蔵》としての信仰も全国各地に拡まっているし、お地蔵さんが道の辻に居るのは、「道祖神」という旅の神様の役割も担っているからなのだ。私達の暮らしの風景に、違和感なく納まっているお地蔵さん。実に《八面六臂》の活躍と言えよう。
人の困りごとは十人十色。人の数だけあるのが普通だ。RPGオンラインゲーム『MILU』の「ビギナーさん」にとってのお地蔵さん的な存在が、「バディさん」である。右も左も分からぬ困りごとだらけのビギさんを、『MILU』の世界へ優しく誘ってくれる。
お地蔵さんとバディさんとの最大の共通点は、共に “発展途上” だということ。先述した通り、お地蔵さんは、成仏を求める修行者であり、まだ仏になって悟りを開いた訳ではない。一方、バディさんを演っていても、『MILU』の全てが分かっているバディさんなんてまず居ないであろう。寧ろビギさんを教えることで、知識の再整理が出来たり、再発見することもあるのではないだろうか。
難しい顔をして難しいことをやり遂げる人を、尊敬はしても好きにはなれない。困難なことをそれと感じさせることなく、涼しい顔でやってのける穏やかな人に憧れる。そう、心の中に嵐があろうとも、お地蔵さんの様にそれをお首にも出さず、ニコニコと明日の風に吹かれているような人になりたい。バディさんも、『MILU』のテクニックを伝授するのが勿論一番大事だが、間接的にせよ人と人が関わりを持つのであるから、ちょっと勇気を出して、貴方の「人間味」を発揮してみよう。例えば、質疑応答的なやり取りに、貴方の失敗談や成功例など、質問の本筋から少し外れた内容も会話に入れてみよう。受け入れる土壌は、きっと『MILU』には有るから。
Writer:ひねもす