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“親子” ……。誰にでも付きまとう煩わしくも愛おしい関係である。私と母は仲が悪いわけでは無い。しかし私は苦手だ。母は世間一般的に云われるような「常識的」な人だ。胸を張って〝間違ったことはしていない〟と、堂々と言えるような母だ。そんな母と私は性格が全く合わず、苦手なのだ。何事にも「世間体」が付いてくる。私からしてみると(世間が何と云おうと私は私だ)と思っていた。「親」と「子」という肩書にしっかり乗っかっている。間違っても母を“おい„ 等と呼ぼうものなら、きっと平手打ちされるであろう。敬語を使え、という程でもないが、親に対する態度は、ある程度は躾けられていた。
母はすごい人だ。自分のことは後回しにして、先ずは私達子供と父や祖父母のことを優先する。勿論、父方の親族も含め、だ。私が学生の頃、母が友人と遊びに行った記憶は無い。「家族が第一」なのだ。しかし、私は自分に子供が出来たら、このような関係にはなりたくはなかった。
私が子供を授かった時、(この子とは友達のような、何でも話し合えるような親子になろう)と決めていた。と、いうのも、私は母に友人関係や悩みを相談したことがほぼ無い。信頼出来ないわけでは無い。出来るだけ話したくなかったのだ。私の願い通り、私と子は友人のような、姉妹のような親子関係になれたと思っている。お互い言いたいことは言う。友人関係や愚痴、悩みも話してくれる。周囲からすると(ナメられているのでは? )と思う人も居るかもしれない。しかし私自身は、そう思っていない。
他の家庭はどうなのだろうか。私が家で友人と電話をするときは、出来るだけ親に聞かれないように話していたものだ。だが我が子は私の前でも、スマホの通話を「スピーカー」にすることも多い。しかし口調は、やはり私と友人とでは違う。“どうして?„ と聞いてみると“親なんだからこれでも気を付けてるんだよ„ と。それでも子供から“おまえ„ と間違って呼ばれたこともある。それでも私も笑い、子供も“間違った! ごめん、あはは!„ と笑えるような仲なのだ。そんな仲でも叱るときは叱る。だけど世間様に比べると、私の躾は甘いのかもしれない。
「天然キャラ」と言われるような我が子だが、(本当に私の子か? )と思うくらいしっかりしている面もある。重い小児喘息と診断された幼かった頃に、体力を付けさせようと始めさせたスポーツだったが、思いのほか続いた。大きな怪我も無く7年も。喘息もほとんど再発しなくなり、体力も付いて中学2年生で駅伝選手に選ばれるくらいになった。そんな矢先、中学生最後の大会の1週間前。週末の練習中に骨折したのだ。しかし本人は“固定してると痛くないから。最後の大会は出たいから„ と懇願の末、翌日の練習試合に強行参加。無理が祟ったのか捻挫までしてしまった。翌日の月曜日に大きな病院で診てもらい、〝大会出場は難しいかもしれない〟と診断を受けた。
私の母ならきっと「絶対安静」にしたであろう。なにせ元看護師なのだ。私がとった行動は「通院が必要ならずっと協力する。あとは監督と相談して自分が後悔しないように」だった。子供に判断させるのはずるいことかもしれない。しかし《親の心子知らず》と云うように、親だって子供の心は判らない。後遺症が残る可能性も話した。その後、子供は松葉杖が外れる前に、あっさりと大会には出ると決断。友人や監督、主治医からいろいろな協力と情報を得て、周りの仲間の温かい応援と“お前の代わりはいない。最後なんだから一緒に戦いたい„ そんな嬉しい言葉で決めたようだ。大会では100パーセントの力は出せなかったかもしれない。それでも決して、私も子供も後悔はしていない。お互いに納得した結果なのだ。
コミュニティ系RPGオンラインゲーム『MILU』では、 “バディ” を親のように見なす人もいる。レベル20でバディからの卒業になるのだが、勿論バディを付けずにプレイする人もいる。バディを付けたほうが付けないよりは、いろいろ教わりながら手助けもしてくれる。フレンドもバディ繋がりで広まったりする。付けて悪いことはない。しかしそのバディがただの「報酬」目当てだったら……。その “ビギナー” は何も教わらずに、後々苦労することになる。バディになると『MILU』内で使える「ルビー」が貰えるのだが、そのルビーを目当てに、やたらビギナーを引き取って、何も教えず高属性の装備を差し出し、さっさと卒業させてしまうバディも残念ながら居る。
現実の親子とは違って、「バディ」と「ビギナー」という関係は解消することが出来る。性格が合わない、ログイン時間が合わない等、いろいろあるだろう。そう思うのであれば解消も考えるべきである。またレベル20になると、卒業と同時にバディとしてビギナーをとれるようになる。しかし、よく考えてビギナーをとって欲しい。現実の子育てと同じで、しっかり教えることが出来るのか、協力してあげられるのか。自分の考えや思い等、「感情」を伝える手段が文字だけのチャットで教えるのはとても難しいけれど、しっかり “信頼関係” を築いた上で、お互いが納得出来る “卒業式” を迎えてもらいたいものだ。
Writer:めしまま