▶Illustrated by ray
周囲を見渡せば、ひたすらに褐色の大地が広がっている。これは夢の中なのだと、睡眠中の私は気付いていない。そのため自分の姿が少年時代の頃に戻っていても、意に介しない。そしてこの場所がアラビア半島のどこかであることを、私は理解していた。右隣にはかつて私の過ちを赦し、見守ってくれたM氏*がいる。私達は何かを話しながら町を目指している様だ。その場景は心を落ち着かせてくれて、強い日差しと弱い風がこの上なく心地良い。
[✱「M氏」については、MILUコラムの過去記事『鉛筆を折った私と、M氏の赦し』に記述 ]
今回、私が書き記すのは文字通り “夢物語” だ。睡眠中の頭の中に映し出される映像や音声にはどのような情報が含まれているのか。以前までの私は、そこまで深く考えることは無かったのだが、ここ数年の間で変化が起きている。と言うのも、意味がありそうな夢の体験を繰り返す様になってしまったからだ。実際に見た夢をコラム化した理由も、体験の内容を共有することによって他の方々の生活に役立つことがあるかも知れない……、と考えたからである。
夢の場面が切り替わり、私は学校の運動場らしき場所に立っている。私の周りでは男子生徒が何人か居て、体育の授業の一環としてサッカーをしていた。私も試合に参加している様だが、何故だか体が思うように動かせず、ボールを蹴ることができない。するとチームメイトの男子達から一斉に責められてしまった。彼らの話している言葉は理解できないが、私がまともにサッカーに参加できていないから怒っている、と察することはできる。
そこで試合を見守っていた教師のM氏が、騒ぎを止めようと仲裁に入ってくれる。M氏が私に優しく問いかけると、面白いことに彼の言葉だけが理解できた。 “どうしたんだい?„ と言っているらしい。それに対して私は片言の英語で “私はアラビア語が話せない。私はサッカーができない„ と返事をすると、M氏はその事情を他の生徒に説明してくれる。こうして問題は解決したのだが、私はこの場面に人生の課題の様なものを感じ取る。それは、意志疎通が難しい者同士だからこそ “伝え合うための努力の必要性” がある、ということだ。
再び夢の場面が変わると、私はホームステイ先兼食堂で、お手伝いをさせて貰っていることが分かった。(その場面の設定が何故か理解できていた)そして、またもや “言語の壁” にぶつかることになる。私はアラビア語のメニューを読むことができず、お客様の注文をメモに書けなかったのだ。
だが、私はなんとしても働きたい。そこで私はメモを置き、代わりに布巾を手に取った。お客様が利用した後のテーブルを拭いたり、料理を食べ終えた後のお皿を片づけたり……。自分にできる範囲で食堂を手伝っていると、店主はその様子を見守りながら微笑んでいた。私はこの場面から、重要な学びを得ることができた。それは “受け入れて貰うための努力の必要性” だ。
今回の私の夢はここで終わり、目覚めた私は爽快な気分だった。その後に無意識に呟いた一言が “今は日本にいるよね„ だったので、思わず笑いを堪えきれなかったのだ。
夢の中での体験を経て、私は円滑な対人関係に欠かせない知恵を得た。それは前述の通り “伝え合うための努力” と “受け入れて貰うための努力” のそれぞれの必要性を指す。私はアラビア語が話せない上に、スポーツも苦手。この事実を伝えないことには、教師にも生徒達にも状況を説明できない。それを素直に話すことで初めて〝じゃあこうしよう〟と次の方法を考えることができるのだから。
ホームステイ先の食堂で働いていた場面では〝文字が読めないから働かない〟と言っていては、余所者である私を受け入れて貰える筈が無い。そこで私は他の業務を探し、できる限りのことをした。だからこそ、店主にもその気持ちを認めて貰えたのだと確信している。これは夢に限った話ではない……現実にも適用できる内容だ、と私は考える。
RPGオンラインゲームの『MILU』では、チャットを通してコミュニケーションが紡がれていく。それ故に、上記の二つの努力が重要な鍵となることは間違い無い、と言って良いだろう。コミュニティ活動が楽しみ方のひとつとして確立された『MILU』を遊んでいるメンバー様は、この努力を無意識に継続しているのではないだろうか。〝人間関係の初心を思い出したい〟と考えている方には『MILU』を暮らしの中に取り込み、生活に刺激を与えてみることを、私は提案したい。ゲームを通して得られる体験が、これからの人生の糧となるかもしれない。
投稿者:薪ストーブ設計マン