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私には、中学時代からの付き合いである友人A氏がいる。登下校の途中に何度も話し相手になってくれていた人なのだが、彼には一風変わった習慣があった。それは道端等にいる “弱っている虫を見捨てておけない” というもの。
中学生の当時、夏の日差しが強い中を友人達で集まり、下校を共にしていたのを覚えている。A氏は帰路の途中で何度も立ち止まり、その度にじっと足元を見回す。私はその動作の意味をまだ知らず、気になっていた。すると私達の接近に驚いたのか、歩道の端に落ちている蝉が途切れ途切れの鳴き声を上げる。A氏はその “一匹の蝉” を拾い上げると、近くの生け垣の上部にそっと、乗せてあげた。私はその行動に興味を持ったので、蝉を移動させた理由を尋ねてみた。彼は満足した表情で“蝉が安心できそうな場所に乗せたんだよ„ と答えてくれる。(なるほど、蝉の立場になって考えていたのか……)と私は納得した。
確かに、いつ人間に踏まれるか分からない場所に転がっているのは不安だろう。命が燃え尽きる寸前の蝉にも、安心できる場所を提供したい。その様な想いを持つことのできるA氏に、私は感心した。その後も、彼が虫を救う姿を幾度と無く見かけることになる。
そしてこの日から暫く時間が経ち、彼は私に不思議な話をしてくれたのだ。
夏の終わり頃、その日の私はA氏と二人だけで下校していた。これはチャンスだと考え、私は疑問に思っていたことを幾つかA氏に訊いてみる。“Aはどうして虫を助けるようになったの?„ この問いに対して彼は“弱っている虫を見捨てようとすると、良心の呵責が起きるんだよ。泣きたくなるぐらい、胸がぎゅっと苦しくなるんだよね„ と答えてくれた。小さな虫達に対して、そこまで強い「感受性」を持っているとは。未成年の頃からその様な考え方ができるだけではなく、日頃の行いとして “虫助け” を習慣化しているのだから珍しい。
続けて私は次の様に質問する。“君にとって虫ってどんな存在なの?„ 彼は迷うこと無く、“命を身近に感じさせてくれる生き物だよ„ と答える。「真意」を聞いて、(なんて不思議な人なのだろう……)と思った私は、彼に返す言葉を失った。
これらの会話を成人後に思い出した私は、A氏の行動と考え方には「人間関係」を良好にする効果もあるのではないか……、と考え始める。
“情けは人の為ならず” という諺がある。人への情けはその相手に限らず、巡り巡って自分にも良い報いが来るという意味だ。これはA氏の行動にも通じるものがあるのではないか、と私は予想する。虫に優しく接するのと同じ様に、誰に対しても情けを持って行動するA氏。そんな彼は客観的に見ても、人間関係に恵まれた人物であった。
風邪で休んだ同級生に宿題を届けたり、クラスの花壇の手入れを自主的に行なったり……。日々の行動故に、同級生達に愛される人間だったのだ。つまりA氏は虫助けの「習慣」によって、人々との “コミュニケーション” にも恩恵を得ていたと言える。 “虫への情け” が、A氏に “良い報い” となって返ってきたのだろう。
独特の考え方や感性を持ち、虫や人間の区別をすること無く、善い行いをしてきたA氏。そんな彼だが、もっとシンプルに特徴を纏めてみよう。振り返ってみると、彼は常に〝相手の立場になって考えていたのではないか〟と推測できる。これを日頃から心がけている者は、自然と他者への言動に “思いやり” が伴うのかも知れない。
交通機関に恵まれている環境が、大勢の人々が一斉に移動することや、SNS等による一斉交流を可能にしている。この様な他者と接する機会が非常に多い現代において、A氏のライフスタイルは必要不可欠なものになりつつあるだろう。その彼自身が常に心がけている「習慣」が文化の一部として根付いている、RPGオンラインゲームの『MILU』は昨年、十周年を迎えた。暮らしの中で自身の心が荒んでしまうと感じた時や、「優しさ」を見失った時。その様な時こそA氏の生き方に倣い、心をリフレッシュさせよう。そのためのツールとして『MILU』を利用することで、 “情けの循環” のある生活が突然訪れるかもしれない。
投稿者:薪ストーブ設計マン