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私の父がまだ二十代後半だった頃のこと。彼は西アフリカの “セネガル共和国” という国で働いていた。現代の日本でセネガルをイメージすると、現地に行ったことは無くてもテレビ等の情報で〝名前を知っているよ〟という方も多いのではないだろうか。実は私自身もこの国について詳しい訳ではない。言語や食べ物といった文化がどの様な特徴を持っているのか、分からないことが多い。
例えるなら富士山を遠巻きに眺めている状態だ。眺めることによって山の外見を知ることは出来ても、実際には登っていない。そのため外見の他に感想を述べることが難しいのだ。それでも私は、セネガルの人々に心から感謝したいことがある。今こうして私が生きているのは、彼らの “人情” が深いお陰と言っても過言ではないからだ。
父は少年時代から、友人達と共に近所の川で釣りを楽しんでいた。そんな彼はセネガルで生活していた時も、休日の過ごし方は釣りに出かけることが多かったと聞く。現地での生活に慣れた頃、とても良い釣り場を見つけたため、趣味は益々加熱していった。それに起因する後の出来事こそが、彼の人生に「学ぶきっかけ」を与えたのだ。
ある休日の朝。父は自分が釣り場へ向かうことを、村の友人達に伝えてから出発した。夕方になる前には、自宅兼職場である事務所に帰ってくる予定でいたらしいのだが、当時の彼はまだ若かった。魚が沢山釣れるのがあまりにも楽しくて、夕暮れ時になっても村に帰らなかったのだ。それから更に時間は進み、すっかり辺りが暗くなる。さすがに冷静になった彼は、懐中電灯の明かりを頼りにしつつ、街灯も無い暗い野原を進んだ。そして暫くして村の入り口の間近まで来ると、そこから見えてきた場景に彼は驚愕せざるを得なかった。それもそのはず、大勢の村人達が銃を手に、村の入り口に集まっていたのだから。
父は慌てて “どうしたんですか„ と村人達に問いかける。すると、その返事は思いがけないものであった。村人の一人によると “Y君(私の父)の帰りが遅いから、皆で探しに行こうとしていたんだよ。この辺りは日が沈むと「ハイエナ」が出てくるから、心配したよ„ とのこと。互いに仕事を教えあい、同じ釜の飯を食べた仲である人々に、ここまで心配をかけたことに対して申し訳無い気持ちになる父。そしてそれを上回る程に、村人達への感謝の念が湧いた。危険を承知で人を助けに行く……それを実際に行なうのは難しいことだ。彼はその時に受けた衝撃をきっかけに “外国人に対する過度な距離感や、苦手意識が無くなった„ と私に話している。外国人であろうと日本人であろうと、同じ人間であるという「事実」に気付かされ、学んだのだ。
彼は加えて次の様に語っている。 “セネガルの田舎の地域に暮らす人々は、他人であろうと放っておけない。自分が役に立てるかどうかは別として、とにかく “見て見ぬふり” ができない。勿論その親切心の中には好奇心も含まれているけどね。本当に助かる時もあるんだよ„ かつて共に働いた仲間を思い出していたのか、父はとても嬉しそうに微笑んでいた。
これは余談だが、当時の彼は村に辿り着けて本当に幸運であった。ハイエナは生きている家畜を襲うこともあるので、人間が闇夜の野原を一人で歩くのは好ましくないのだ。
このように親切な人々に見守られ、父はセネガルでの勤めを終えて無事に帰国出来た。異国の地での体験は、その後の彼の人生を豊かにしてくれたに違いない。この体験談に対して私が意見を述べるとしたら、その村人達に〝父親がお世話になりました〟とお礼を伝えたいと思う。そして自分の父親には率直に〝釣りも程々に〟と言っておきたい。
日本という治安の良い国と比べてしまうと、アフリカには気を付けて渡らないといけない地域があるのは否定できないだろう。そうだとしても、私は父のアフリカでの体験談を聴かせてもらう度に、ぐっと強く深まる想いがある。それは “生まれの国は違っても、人間であることに変わりは無い” ということ。それはネット上のコミュニティにも同じことが言える。長年に亘って多くのメンバー様が楽しんでいる、RPGオンラインゲームの『MILU』が良い例ではないだろうか。私の父が暮らした村の住民達は、新参者である彼を温かく迎え入れてくれた。この『MILU』での日常を楽しんでいる方々も、新規メンバー様に対してとても親切だと見受けられる。故に『MILU』も、出身を問わずに「人」を受け入れてくれる “安息の場” なのだと考えたい。だからこそ、忘れてはいけない大切なこともある。実生活であろうとネット上であろうと、その安息の場を作っているのは私たち人間の “心” だということだ。
投稿者:薪ストーブ設計マン