(ロシアの諺)
“朝ドラ” にベッタリ、の人生は中学の頃から始まったと思う。中2の頃、足首を捻挫して、母に車で送り迎えしてもらっていた時期がある。その時は、(足が悪いのだから、遅刻して当然)と、当時は8時半迄だった放送をじっくり見終わってからの重役登校をやってのけた。
明るい家庭にずっと憧れていた。朝ドラの家族は屈託なく笑う。それは私にとっては、衝撃的だった。我が家の食卓はいつも張り詰めた空気が充満しており、笑顔とは掛け離れた雰囲気だったからだ。段々大人になるに連れ、朝ドラのような100%明るい家庭など何処にも無いことを知り、尚の事、朝ドラの虚構の世界に憧れた。
朝ドラの “ヒロイン” は妙齢になると、たいていの場合恋に落ちて結婚する。相手は幼馴染だったり、会えば喧嘩する犬猿の仲だったり、色んなパターンがあるが、(恋っていいよなぁ)と素直に憧れた。過去形で述べたが、現在進行形である。ずーっと憧れている。
時代の趨勢と共に、ヒロインは恋愛一辺倒ではなくなった。仕事というファクターも重要性を増してきている。ヒロインがどういうきっかけで、その仕事に惹かれていくのか。中学生の頃に、早くも自分の恋愛運に見切りをつけた私としては、ヒロインが好きな道を見つけて真っ直ぐ突き進んでいく姿は、正しく私の目指す姿だった。
朝ドラのヒロイン(稀にヒーロー)は、新人であることが多い。そうなると、ヒロインを脇で支える、親兄弟役や友だち役の役者さんは実力派揃いのことが多い。新しく始まる朝ドラが面白くなるか否かは、脇を固める役者さんの腕による所が大きいと思うのは私だけではなかろう。
(相田みつを)
朝ドラの若きヒロインの成長。毎朝私は、時に自分の人生と比べながらドラマに見入る。ドラマだから、と言われればそれまでだが、ヒロインはとにかく色んな人と出会う。その “出会い” によって、ヒロインの運命は大きく動き出すのだ。
最初の出会いは、家族であろう。基本的な考え方や価値観など、人間としての基礎の部分は、家族の影響を受けることが多い。ひとつ屋根の下で、寝食を共にするという単純作業の繰り返しは、案外人生に於ける肝の部分なのかもしれない。
家族と同等かそれ以上、人生において大きな出会いとなるのが、生涯を連れ添うパートナーである。私個人の好みとしては、時代がどう移り変わろうとも、朝ドラは夫婦の情の通い合いを丁寧に描いたものが好きである。
学生時代の友達や、会社の同僚。靴やアクセサリーがオシャレだと全体の装いがランクアップするように、友達や同僚などが魅力的に描かれている朝ドラはヒット間違いなしだと思う。
ヒロインの年齢は、とうに越してはいるものの、朝ドラを見ていると自分の人生にふと思いを馳せてしまう。自分の人生にも、(ヒロインの様な)運命の出会いはあったのだろうか? それともこれからあるのだろうか? 何れにせよ、出会いを敏感に察知できるよう、心のアンテナを研ぎ澄ませておかなければ。
(プラトン)
これまでの私は、朝ドラで見た人間関係の機微を、無意識的に自分の実生活で実践していたような気がする。勿論、現実の世界はドラマのように綺麗に割り切れない。あらゆる事が未解決で、それでも時間はどんどん前に進んでいくから、仕方なく前を向くしかないのだ。
年齢を重ねていくと、出会いに心躍る機会も少なくなってくる。が、この度、私は出会ってしまったのである。そんなに張り詰めて前向きにならなくても、存在できる場所。RPGオンラインゲーム『MILU』に出会ってしまったのだ。まったりした時間が、そこには漂っている。自分のリズムでギアを上げて、イベントに参加して新しい友達を作ったり、魚釣りに精を出してレベル上げに必死になるのも自由だ。ゆっくりのんびり過ごしたいなら、『MILU』の中で友達になったミル友と、いつもの場所で、じっくり話し込んだりするのもいいだろう。『MILU』との出会いを、現実世界にも有意義にフィードバック出来ますように。
Writer:ひねもす