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ハワイ、シンガポール、韓国、フランス。私が過去に旅行した国々である。残念ながら、何ひとつ思い出に残っていない。それはひとえに、いずれの旅行も、友人に誘われて行っているから。殆ど印象に残ってないのは(能動的じゃなかったからでは?)、そう思うようになってからは、海外旅行は能動的に(行きたい! )と思える場所が見つからない限りは、行かない、と心に決めた。
と決心していた私の視界に飛び込んできたのが、ブータン王国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王の笑顔だった。(なんて綺麗に笑う人なのだろう)。見ているこっちまで、つられて微笑みそうになる。(いいなぁ、ブータンって)。しっかり自ら心が動いた。それは2011年11月、その前月に結婚式を挙げたばかりの若き国王が、新婦のペマ王妃を伴って、東日本大震災後、初の国賓として来日された時のことである。
(いつかはブータンへ……)。私はまだ「幸せの国」への渡航を叶えていない。そうこうしている間に、ブータンにも近代化の波が押し寄せている。長きに亘った鎖国制度を1974年に解いて以降、1999年にはテレビ放送とインターネットが解禁され、急速な情報化が進んだ。ブータンでは近年、若者たちの間で深刻な薬物汚染が叫ばれていることも、近代化の高い代償のひとつと言っていいだろう。多くの近代国家がそうだったように、便利になる代償をブータンもまた、様々支払っているのが現状である。だが依然、私にとってのブータンは「憧れの地」であることに変わりはない。
“ブータン” と言えば、必ずついてまわるのが “幸福度” というワードだ。これは、1972年に即位した父親の先代ワンチュク国王が提唱した “国民総幸福量” に基づく。ブータン政府は、国民総生産(GNP)よりも国民総幸福量(GNH)の考え方を広めようとした。経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを大切にするその考え方は、国際的にも採用された。2012年6月に開催された国連総会で、3月20日を「世界幸福デー」に定める等の動きがその一例である。
先述の通り、私がブータンに惹かれたきっかけは、国王の晴れやかな笑顔だった。その笑顔をきっかけに、私はブータンに関する記事を読み漁った。その中で一番(ブータンっていいなぁ。)と思ったのは、ブータン人の「自己肯定感」である。ブータン人に〝幸せですか?〟と尋ねると、〝はい〟と答える人がほとんどだそうだ。自分に置き換えて考えてみると、もし自分だったら、〝はい、幸せです〟。とは言えない。すべての日本人が……とまでは言わないが、恐らく私のように幸せと言えない日本人のほうが多いのではないか。
何故、言えないのだろう。確かに、美味しいものを食べたときなど、欲望が満たされたときの幸せは表現しやすいような気がする。が、精神的な充足感を素直に表現するのはなかなか難しい。何故か? 原因は色々考えられるだろうが、ここでは私の考えを綴らせてもらう。
私は、「人の目」が気になって仕様がない。(へぇー、それで、もう幸せなんだ)と、他人に思われるのが嫌なのだ。つまり、人様より先に、“幸せです„ と、宣言するのが人間的に負けた気がするのだ。こんな卑屈な考え方をしている限り、私は幸せにはなれないだろう。
人の目ばかり気にしている分、自分を生きることが疎かになってしまう。そして、それがすべての不調に繋がるのではなかろうか。「自分は幸福である」と感じることができる豊かな感受性を持っていることが幸福に繋がる。「幸福ですか?」と聞かれて、堂々と「はい」と答えられる人。誰がなんと言おうとも、その人が「1番幸せ」だ。だって今の自分を認めているのだから。上昇志向もいいが、今の自分をいったん認めることも大事。いったん自分は幸せだと思ってみる。その先の景色は、今までと違うはずだ。私もあなたも、 “唯一無二の存在” だから、自信と責任を持って、丁寧に生きていこう。
Writer:ひねもす