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趣味は読書。と、堂々と言えたのは小学生の頃迄。毎週末、父は本を買ってきてくれた。自分の本好きを、そのまま娘にも引き継いで欲しかったのか、父は私に有無を言わせなかった。世界中の偉人の伝記や、日本の純文学小説集など。父は勤め先の近くの本屋から本を次々と買ってきた。私は、1週間に1冊のペースで読破した。父と私は、まるでラリーの応酬のように、本を買う、本を読む、を繰り返した。
しかし、その習慣は、私が中学に上がるとパッタリ途絶えた。父が、〝これからは勉強が忙しくなるだろうから〟と本を買って来なくなったのだ。今の私なら、自分のアタマで考えて、(勉強も読書もどちらも精を出します)と言えるのだが。当時の私は、万事に於いて受け身。父の言うことは、絶対だった。
子どもの頃の読書習慣もすっかり薄れてしまった頃に、私は眼の病気を患い、視力が弱くなってしまった。ちょっと疲れるとモノが二重に見えてしまう「複視」の症状によって、とても読書を楽しめる身体ではなくなった。
だから、先月この本に出会った時も、(また積読になるだろうな)と確信した。その本は、友だちと入った、ちょっと気の利いた喫茶店の、最も日当たりの良い窓際に飾るように置いてあった。その日は気持ちよく晴れた、久々に何の予定もない自由な休日だった。その友だちは知り合ってからは長いのだが、去年辺りから、付き合い方にギアが入ったかのごとく、頻繁に会って遊ぶようになった。
つまり、その日、私はかなりテンションが高かった。だからこそ “この本、買う„ と軽く言えたのだろう。(また、何冊もある積読コレクションのうちの1冊になるのだろうな)と予測した。ところが、読めた。その本を勧めてくれた友だちと、(あの本、良かったね)という会話をしたい一心で読んだというのもあろう。
何より本が魅力的だった。タイトルは『翻訳できない世界のことば』。(創元社/エラ・フランシス・サンダース著/前田まゆみ・訳)他の国の言葉ではそのニュアンスを上手く表現できない「翻訳できないことばたち」。本書は、見開きの右ページに、言葉の綴と直訳、大人可愛いイラストが。左ページには、その言葉の背景にあるお国事情等が、国名とともに記されている。余白がたっぷりとってあって、目に優しい。さしずめ、大人の知的好奇心をくすぐる「大人の絵本」と云ったところか?
勿論、日本語の翻訳できない言葉たちも、掲載されていた。「木漏れ日」、「ぼけっと」、「侘び寂び」、「積読」などがそうである。さぁ貴方なら、これらの言葉をどう翻訳しますか? この日本独特の言葉を、どのような表現法で外国人に説明するか。それは趣味嗜好、生き方、これまでの人生など、貴方自身のあらゆるファクターが問われるだろう。
純粋に本を読みたいから読む、というよりは、それプラスなにか目的を持って読書するようになった。最近は特にそうである。毎日些末なことに追われて、読書をするような静かな時間を設けるのは至難の業なのだ。
では、私はどんな付加価値を与えて読書をしているかと言うと、読書をしながら「きっかけ」を探しているのだ。何のきっかけかというと、私自身が変わるきっかけの「ヒント」を探しているのだ。
勿論、自分の日常を全否定する気はサラサラない。だが100%満足していないのも事実であり、日々問題が変わっていってくれることを願っているのが現状だ。時々私は思う。難関の「問題」に真正面から真面目にぶつかっても、なかなか問題は解決しないのではないか、と。事実、(これは回り道だよな)と思っていたやり方が、意外とスムーズに解決へと導いてくれることは多々ある。
《急がば回れ》とはよく云ったものだと思う。そこで私は、《急がばMILU》という「新語」を提唱したい。コミュニティ系RPGオンラインゲーム『MILU』が醸し出している、まったりとした雰囲気。あの空気感に、しばし身を委ねてみるのも、リアルの世界の充実した生活に繋がっていきそうだ。
Writer:ひねもす