ファインアートと商業主義について

ファインアートと商業主義について

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画像出典/GAHAG  http://gahag.net/
 

ヒットメイカー ≠ アーティスト

バブル期前という古い話になるが、1985年のヒット曲に『雨の西麻布』というのがあった。作詞とプロデュースを手掛けた秋元康氏によると、ヒットさせる戦略として、ありがちな新宿でもなく狙いすぎた亀戸でもない西麻布を曲名にしたこと。そしてマガジンハウス系の雑誌で西麻布特集を組んでもらうというメディアミックスを仕掛けることにより、 〝今、西麻布がきてる!〟と大衆に思わせることで、いち早く流行りに乗っかりたい、乗り遅れまいとする強迫観念めいた心理でムーブメントは作られるそうだ。
 

ヒットする定石としてはカラオケで歌いやすい曲、ラジオで流しやすい短めの曲、CMやドラマとのタイアップで使われやすいように数秒で聴衆を虜にするキャッチーな曲が挙げられる。もしも純粋に作りたい曲がこれらに当てはまらなければ、世の中に出づらいし大衆に届かないのだ。しかしヒットメイカー(音楽屋)としては凄いし立派だと思うが、それってアーティストと呼ぶんだろうか?と常々疑問に思っていた。というのも自分の内なる衝動に駆られ、それを表現せずにはいられない熱情の発露として作品に結実する。その作品が鑑賞者の魂を震わせ、心の琴線に触れるような創作が芸術だと思っていたからだ。

 
 

芸術に身をやつす覚悟

ビジネスと割り切って売れ線でいくか、それがどうしても嫌で作家性を貫くか、商業主義と芸術性という問題は真剣に創作する者であれば誰でもぶち当たる壁だ。狭いアパートの中だけで奏でられ、デモテープの山に埋もれて消えていく「名曲」で終わったとしてもそれでいいと思う、それは生き方の問題だ。画家のモディリアーニは自分の作品が化粧品のラベルに商標登録されることを断り、貧しさの中で夭折した。ゴッホ田中一村も生前は画業で成功することはできなかった。
 

商業主義に走ることを英語のスラングでSell out(魂を売る)と言うらしい、つまり自分自身を裏切る行為なのだ。かといって〝芸術家は清貧でつましい生活をするものだ〟などと言うつもりはない。創作活動を続けていくためにも、作品の対価として正当な見返りを得るべきだと思う。ただ、《生き馬の目を抜く》資本主義社会の中で、FINE ART(純粋芸術)だけはそれと一線を画した聖域であってほしかったのだ、それが手前勝手な希望的観測だとしても。

 
 

感覚で表現・観賞することは時代遅れなのか

こと現代美術において商業主義はさらに顕著のようだ。現代美術家として世界的に成功を収めている村上隆氏の著書『芸術起業論』、『芸術闘争論』によると、コンテンポラリーアート(現代美術)の世界には彼ら(巨額マネーを動かす資産家・ギャラリスト・コレクター)のルールがあり、それを学び彼らが望むものを作品として創ることで評価され「高値で売れる」ということらしい。では彼らの望むものとはいったい何か? ここで重要なキーワードとなるのがコンテクスト(文脈・脈絡・背景・状況)だ。
 

西洋美術史においてピカソの独創的な表現以来、〝これに勝る表現は何か!〟と模索と研究がなされた。1917年マルセル・デュシャンがとある展覧会に『泉』というタイトルで「男性用小便器」を出品しようとしたが、主催者側により拒否されてしまう。ただの小便器でしかも既製品なのだが、それまでの長い美術史の中で相対化してみると、初めて〝美しくない、作家が作っていないモノにも芸術的価値はあるよ〟と「美術の既成概念を覆し、新しい価値・概念を提示した」作品ということになる。これをコンテクストというのだ。現代美術とはワインの世界の蘊蓄うんちくのように、富裕層の知的欲求や虚栄心を満たすコンテクストを盛り込んだものが尊ばれるという。観て感じるだけでは何が何だか理解できないのは当然で、歴史を重層化して見なければ理解できない知的ゲームの世界なのだ。

 
 

美術史の中での位置づけと、どういうコンテクストを提示しているのかが重要

村上氏の成功も現代美術をとりまく業界構造を分析し、実践した結果なのだという。庶民の娯楽でしかなかった浮世絵が陶器の包装紙として西欧に渡り、当時の若い画家たちに多大な影響を与え(ジャポニスム)、印象派が誕生した。現代においては漫画やアニメが欧米で「クールジャパン」として人気になり、海外のクリエイターに影響を与えていることを日本サブカルチャーの系譜であると理論を構築。そして狩野山雪の『老梅図襖』の奇っ怪な枝振りと、アニメーター金田伊功による『さよなら銀河鉄道999』での女王プロメシュームの飛沫エフェクトもその系譜にあると、まことしやかに論を進める。こうしたことを背景に伝統的日本美術と漫画に共通する、奥行きのない平面的な作風を踏襲した『スーパーフラット』という概念を提起して、村上作品を「ブランディング」することに成功した。このように日本美術史を串刺す重層的な意味を持つコンテクストを、作家自らプレゼンテーションすることで評価されたという。
 

現代美術家として成功し結果を出しているので、その戦略は正しいのであろうと思う。しかし海外で美術品が高値で売れるという裏には、非課税団体に寄付した場合、税金が控除されるという側面もあるのだ。そういったことを考慮すると高値で売れたから芸術的価値も高いとは一概には言えないし、富裕層の嗜好に迎合した作品として後世に残りかねないのではないか。村上氏自身〝くだらない金持ちのザレ事ですよ〟と言っているように確信犯なのだ。それは「ゲームのプレイヤーとして内側からルールを書き変えるため」ということらしいのだが……。最後に商業主義とは対極、いや別次元に生きた稀有なアーティスト、ヘンリー・ダーガーを紹介しておきたい。

 
 

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神の差配か、運命の悪戯か、有名画家になってしまった無名画家

1973年シカゴの救貧院でヘンリー・ダーガーという独りの老人が息を引き取った。生前彼からアパートにある私物の処分を頼まれていた大家が部屋の中で、『非現実の王国で』と題した膨大な原稿と300枚に及ぶ挿絵を発見した。大家がアーティストであったことが幸いし、処分されることなく世に知れ渡ることになったのだが、ダーガーにとっては不本意であったろう。何故ならこれらの作品は誰かに見せる前提で創作したものではないからだ。
 

子供の頃に母親を亡くし父親も病気で入院したため、ダーガーは施設へと入れられることになる。そこでの壮絶な虐待やいじめ、強制労働が嫌で施設を脱走。17歳で病院の清掃員としての職を得ると、19歳から『非現実の王国で』という物語の執筆を始めた。それから病気で救貧院に入院するまで約60年もの間、仕事と教会のミサへ行く以外はほとんど部屋に引きこもって、自分のためだけに物語を紡いでいたのだ。そう、彼には作品を創作しているという概念はなく、ごく個人的な愉しみのためにその作業に耽溺たんできしていたと思われる。だから誰の目にも触れぬよう〝捨ててくれ〟と頼んだのだ。

 
 

妄想という王国に癒しを求めて

美術の専門教育を受けてはいないながらも、ゴミ箱から集めてきた雑誌を切り抜いてコラージュしたり、広告の女の子をカーボン紙でコピーして絵心の無さを補い、唯一無二の世界観を創り出していたことから「アウトサイダーアート」として評価される。しかし生前ダーガーが絵を描いていることなんて誰一人知らなかったのだ。それだけ人との交流が苦手だったのだが、教会に断られても幾度となく養子を申請したり、月5ドルの餌代を工面できず犬を飼うことを諦めざるを得なかったことからもうかがえるように、孤独が好きだったわけではないのだ。自分だけの物語を作り、そこに没入することが孤独から逃がれる唯一の手段で、貧しくもささやかな人生が少しばかり幸福に満たされる時間だったのかもしれない。
 
 

writer Noblesse Oblige

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