(アミエル)
我が家に於いて、私はご飯炊き係である。 “ご飯” なんて炊飯ジャーが炊くと思っていたら大間違い。結構、大変なのだ。我が家は4人家族である。たった4人の家族なのに、毎回何合炊こうかと頭を悩ませている。ご飯の好みがバラバラで、一方は「白米の柔め」が好きで、一方は「雑穀米の硬め」が好み。こんなに好みが違うのに、ひとつのジャーで賄おうというのが土台、無理なのだ。
更に面倒くさいことに、私以外の家族は、食べる量をグラム単位で指定してくる。但し、100グラムと言われたら、101~109グラムの間はOKということにしている。こういった、ご飯に纏わるムダな努力を日々積み重ねていると、段々ご飯自体が嫌になってきた。
そもそも私は味覚が「お子様」なので、味付けも甘さも辛さもハッキリくっきりしている方が好きである。素材の味を生かした薄味仕立てなどは苦手だ。それと同じような理由で、ご飯のそこはかとない甘みとか、その辺の微妙な味には一切無頓着である。ご飯は腹持ちのいい食べ物。おかずでは満たされなった分をご飯で補充する。私にとってのご飯は、決して好きな食べ物ではない。
(作者不詳)
しかし、嫌いとは言いながら、ご飯を2日に亘って食べないということはまずない。いつから米は、こんなにも私達日本人と切っても切れない関係になったのだろう? 日本へ米が伝わった道筋は、以下の3つ位が考えられている。
- ①揚子江の中流から下流の地域 ⇒ 中国大陸を北上 ⇒ 山東半島・朝鮮半島 ⇒ 北九州
- ②中国大陸をもっともっと北上 ⇒ 遼東半島・朝鮮半島 ⇒ 日本
- ③揚子江下流の地域 ⇒ 西九州
諸説あるが、どのルートが正しいかは、まだ解かっていない。
今から2500年前の縄文時代に「水田での米作り」の技術が伝わり、田んぼでイネを作り始めたのを契機に、縄文時代が終わり弥生時代に変わるきっかけになったと云われている。弥生文化は、田んぼでの米作りが基礎になっている農耕文化で、狩猟や採集が食料獲得の手段だった、それまでの縄文文化とは明らかに違っていると言えよう。
歴史的に見ても悠久の付き合いを経て、米は日本の土壌に、そして日本人の嗜好に寄り添ってきた。何より、米は日本人の体質に最適なのだそうだ。小麦は、もともと寒冷で乾燥した気候の土地で取れる作物なので、日本人が食べると身体は冷えてしまう。パンとご飯を見比べてみれば判るように、小麦粉が主原料のパンはパサパサと乾燥している。もともと日本に比べて湿気の少ない気候で作られているからなのだ。
それに比べてご飯は、ほどよく水分を含み粘り気があり、湿度の高い日本の気候に合っている。ご飯は身体を温める作用もあるため、代謝機能を高めたり免疫力をアップさせる効果も期待出来て、小麦粉に比べて日本人の身体に消化・吸収されやすいのも明らかだ。
《いつも月夜に米の飯》とは、いつまで続いても何回続いても飽きないことの例えであり、日本人と米との蜜月関係を端的に言い表している。
(ディケンズ)
先述した通り、私は決して「ご飯大好き派」ではない。どちらかと言えば、(今日はパンを食べるぞー)と思うだけでテンションが上がる方だ。朝食に「パン派」の台頭がめざましくても、それを嘆かわしいとも思わない。
それでも最後に行き着く所は、(やっぱりご飯なんだろうな)と本能的に思っている。たとえば、孫悟空がどんなに走ろうと飛ぼうと、お釈迦様の手から逃れられない。それと同じ様に、どれだけ人気のパン屋のパンだろうが、ベーグルだろうが、いざという時のご飯のあの落ち着いた佇まいには敵わない。“色々寄り道しましたが、ご飯さん、やはりあなたに戻ろうと思います„ と高らかに宣言したい気分だ。ご飯は日本人が戻って来る場所、嗜好なのだろう。
(やっぱりここに帰ってきたかぁ)という安堵感。それは、暫くRPGオンラインゲーム『MILU』から遠ざかっていたユーザーに『おかえりなさいキャンペーン』と銘打って、再び『MILU』で遊んでもらおう、という企画の考え方のベースにもなっている。ご飯と同様、「長く付き合って行ける」という飽きのこない魅力が『MILU』には存分にある。
Writer:ひねもす