貴方に寄り添う「どこでもドア」を開こう。そして癒される居場所を求めよう。

貴方に寄り添う「どこでもドア」を開こう。そして癒される居場所を求めよう。

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【あちこち旅をしてまわっても、自分から逃げることはできない】(ヘミングウェイ)

 
家と会社の往復。毎日がその繰り返し。もちろん家にも会社にも感謝している。感謝した上で、『なんか毎日が単調だ』と不満に思っている自分がいる。第3の居場所が欲しいんだよな。適度に孤独で、適度に人と繋がれる空間が。

 
『旅行にでも行けば?』と人は言うだろう。たしかに旅は日常を劇的に変えてくれる。ただ、旅の終わりには、後片付けという名のあまり楽しくはない行為がもれなく付いてくる。つまり旅行をするには、元々が元気でないとその楽しさを満喫できないということだ。

 
「老人と海」でお馴染みの、アメリカが生んだノーベル文学賞作家、アーネスト・ヘミングウェイが言っているように、現実逃避の目的で旅をしても、結局戻ってくるのは少し疲れている自分自身の元なのだ。

 

【人間というものを知れば知るほど、人は犬を讃えるようになる。】(ジョウセネル)

 
ペットに癒やしを求めるのもいいかもしれない。但し、私個人に関することを言えば、ペットを一度も飼ったことがない。父は犬が嫌いで、母は猫が苦手。妹は動物全般にアレルギーを持っているし、私は小学校の時に飼った小鳥を2日で死なせてしまって以来、鳥が怖い。だから、ペットに関する私の考え方は、ちょっとクール過ぎるところがあるかもしれない。

 
去年、現在の団地に引っ越した。ペットを飼ってはならないことになっている団地だ。ところが、犬を連れて散歩している人を頻繁に見かけるのだ。しかも、悪びれる風は全くない。私のほうがおかしいのじゃないか、という気にすらなっていた。そんなある日のこと、管理人さん宅を訪ねる機会があったのだが、玄関口でピンポ~ン♪と同時にやってきたのは、賢そうな顔つきの犬だったのだ。

 
それからというもの、なぜ人はペットを飼うのかが気になって仕方がなくなった。理屈じゃない。可愛いから飼う。理由はそれに尽きる。という思考にはどうしてもなれない。なにせ、ペットを可愛がるという経験が欠如しているから。

 
私の住む団地は、ご高齢の世帯が多数を占める。子育ても済んで、今のところ家族に病人を抱えてもいない。そんな人生における「凪」の状態にあるとき、「人はペットを飼う」というある種の「幸せな厄介事」を抱え込みたくなるのではないか?ある程度の負荷がかかっていたほうが、生きている実感のようなものを感じられるのではないだろうか?私はというと「凪」とは程遠い人生を送っている。私にはまだペットと寛ぐ穏やかな日々はやってきそうにない。

 

【青年は熱い血によりその趣味を変えるし、老人は習慣によりその趣味を保つ。】(ラ・ロシュフーコー)

 
「習い事」を始めてみるのも暮らしにアクセントがついていいだろう。学生の頃で例えるなら、部活のようなものだろうか。自分の好きなこと、興味のあること、得意なことに打ち込むことは、生きている充実感を感得できるだろう。

 
私も以前、「自分の好きなことを」と無理やり考え出して、仕事終わりに易学を習いに通っていたことがある。また私の妹は、高額な月謝を払って、触ったこともないエレキギターを一時期習っていた。動機はやはり、生活に変化が欲しかったからだ。

 
ただ、「習い事」の厄介なところは、お金と時間の制約を受けること。「習い事」の腕が思い通りに上がらなかったときは、ストレスになる可能性もあるだろう。あと、「辞め方」が難しいのも辛い。どうやら「習い事」を始めるのも、結構ハードルが高そうだ。

 

そんな時、部屋にあるパソコンをちょっと開いてみるのはどうだろう。例え、仮想空間の世界でも「承認欲求」や「繋がり」を満たせる場所はある。もっと相手を知りたい。もっと自分を知って欲しい。素直にそう思えて、素直に行動に移せる。軽やかに飛び交う挨拶。仲間のお祝い事には何があっても駆けつける。いつも穏やかな『ありがとう』に満ちた、あなたが思っているよりずっと人間臭い、血の通った世界が、そこにはある。

 

Writer:ひねもす
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