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成人式を迎えたばかりの私には、幼少期から続く悪い癖があった。それは他者から酷い仕打ちや罵倒を受けた際に、その時の恐怖と怒りを長引かせてしまうというもの。学生から新社会人になるまでの期間を費やしても、私は変われなかったのだ。当時の私にはこれからの自分のための “改善意識” が欠けていたので、至極当然の結果である。
私の人間関係は相応に悲惨なものとなってしまった。私が人に優しくなりもせず、人が私に優しくなってくれるだろうか。答えは言うまでもない。して欲しいことがあるなら、自分が先にそれを行なうのが人付き合いの鉄則と言えるだろう。そんな私がここ数年で人間関係を良い方向へと変えていけたのは “一人の友達” に関する記憶を思い出してきたことが関係すると確信している。
私が小学校低学年だった時、近所に北アフリカ出身のM氏という友達が住んでいた。友達と言っても同年代ではなく、幾つも年上のお爺さんである。私の両親が仕事の関係で彼と知り合い、私が学校帰りに挨拶をしたのがきっかけで、時々遊んでもらうようになったのだ。
知りあってから半年程が経った頃のこと。私の使っている “鉛筆” がかなり消耗していることに気付いたM氏は、自宅から鉛筆を二本用意してプレゼントしてくれた。しかし私はあろうことか、その鉛筆をM氏の目の前で折って捨ててしまったのだ。今となっては〝なぜそのようなことをしたのだ〟と、過去の自分を問い詰めて叱りたくなる。しかし不可解なことに、M氏は怒らなかった。咎めもせず静かに見守っているだけだったので、私にはそれが不思議で仕方が無かったのだ……。
鉛筆を折ってから数日が経ち、私はM氏の家に招かれた。もしかしたら鉛筆を折ったことを怒られるのかもしれないと、少し震えていたのを覚えている。M氏の家に着くと、彼は私をリビングへと案内してくれた。そこにはテーブルや椅子の他にも、子供の背丈程の小さな箪笥が置かれている。M氏がその箪笥の取っ手を引いてから〝中を見てごらん〟と身振りで示していることに気付き、私は箪笥の中を覗き込んだ。中には新品の鉛筆の束が幾つも並び、綺麗に収められていた。
言葉が通じなくとも気持ちが伝われば……、と彼は思ったのだろう。穏やかな物腰で何かを話していたので、その状況を理解しようと私は必死になっていた。なぜ今になって鉛筆を見せたのか。〝私は鉛筆をたくさん持っているから、この前に折った鉛筆のことは気にしないで良いよ〟と言いたいのだろうか。いや、これは私にとって都合が良すぎるだろう。では〝物には限りがあるから、大切に使うんだよ〟と言いたかったのか。答えが分からないまま1年程が過ぎ、M氏は何処かへ引っ越してしまった。今となってはその真意を確かめる術は無いが、それでもひとつだけはっきりしていることがある。彼は大人としての立場から、幼い私を責めずに見守ってくれた。それはある種の「許容力」であり、間違いなく “赦し” と言えるだろう。
幼少期に前述の体験をした私だが、今では常日頃から使命感を持って生きている。もし誰かを責めたくなった時や、人が理不尽な行いをした時には、私はその人を「赦したい」と思う。私を赦してくれたM氏への唯一の “恩返し” ができる方法であると同時に、必要な “改善意識” だと考えているからだ。
RPGオンラインゲームの『MILU』を楽しむ際にも、マナーの一環として “懐の深い” M氏の心構えや寛容さを持つ必要性があるだろう。それがあるからこそ『MILU』の世界は温かいのだと私は考える。そして『MILU』のメンバー様や、まだプレイしていない皆様も含め、今後の生活の中でM氏の “赦す姿” を想像してみて欲しい。それによって少しでも優しい気持ちになってくれたのであれば、筆を執った者として感慨無量の一言に尽きる。
投稿者:薪ストーブ設計マン