感謝を伝える『ありがとう』の言葉は、いつどこで生まれたのか。

感謝を伝える『ありがとう』の言葉は、いつどこで生まれたのか。

arigatou

 

▍そもそもありがとうとは?

Wikipediaによると……、「ありがとう」とは、日本語で「感謝」を表す時に用いられる挨拶である。「めったにない」「めずらしい」を意味する「有り難し」という言葉が語源。

 
「ありがとう」は「有難し」の連用形「有り難く(ありがたく)」が、ウ音便化したもので元々は仏教語らしい。生命の驚きと感動を伝える教説の『ひとの生をうくるはかたく、死すべきものの、生命あるもありがたし』の一文が、時代の移り変わりの中で「感謝」を表す言葉となった…。と、出典の「法句経(ほっくきょう)」で解釈されている。

 
「法句経」とは、仏教の教えを短い詩節の形で伝えた韻文のみからなるパーリ経典「ダンマパダ」の漢訳仏典。諸説あるが日本には5世紀頃、伝来したと思われる。

 
元来は、「感動」を伝える為に生まれた「ありがとう」だが、いつの間にか「感謝」を表現す
る言葉に転化している。いつ、何処で、誰が最初に転化させたのかは定かでない。意図して使い出したのか、それとも間違って使われ始めたのか。いずれにせよ、共通語としての「ありがとう」が、全国的に普及したのは20世紀以降の明治維新後である。

 
富国強兵に舵を切った明治政府は、方言こそが国家統一を阻む社会悪とみなし、一斉撲滅を謀
って標準語教育を強制した経緯がある。それ故に、標準語の「ありがとう」を国民全体で共有するようになった歴史はまだ浅い。

 
では、「法句経」が登場する以前には、「感謝」を言い表す言葉は無かったのだろうか。
その昔、他所との交流が少なかった自給自足の時代、各地域に点在した狭い共同体だけで通用する方言の「ありがとう」が、人々の間で連綿と使われていたと思われる。

 
戦後復興から高度経済成長期を経て、幸いなことに復権を得た「方言」は、今も全国各地域に根ざし、辛うじて生きながらえている。だが、高度に通信網が発達した現代社会では、各メデ
ィアやネット上の共通言語によって、再び淘汰されつつある。豊かな言語文化圏である沖縄で生まれ育った筆者としては、味わい深い方言の「ありがとう」も、自然消滅の運命を辿っていくのではと思うと、寂しさは禁じ得ない。

 

▍意志疎通を図る感謝の概念

世界各国で普遍的に使われる「ありがとう」の言葉。国や言語は違えども「ありがとう」は、感謝の気持ちを相手に伝える言葉として、「コミュニケーション」の中心に位置付けられている。「親しき中にも礼儀あり」の例えがあるように、円滑な人間関係を維持していくには、最も重要なキーワードである。

 
ところで、世界の国々では「ありがとう」の言葉は、いつ頃から使われているのだろうか。有能なリーダーを頂点にした、社会組織の構造が発生した紀元前の時代から、すでに人々の会話の中では交わされていたに違いない。

 
長い進化の時を経て、身振り手振りのジェスチャーから、遂に「言葉」を会得した人類。
家族単位から集団で狩猟行動をするようになって、喜怒哀楽を共有する共同生活を営むようになる。物々交換などで、他の共同体の人々との交流も生まれてくると、お互いの意思疎通が不可欠となる。その結果、多様なコミュニケーションの形態が生じてきた。

 
狩猟で生活の糧を得ていた時代、天候不順で飢饉になると言語や習慣が異なる民族同士や部族間では、食料の獲物や自生食物等を巡って、テリトリーの奪い合いに発展する。生存を賭けて種族間の争いが激しくなると、自らの身を守る術が必要になってくる。その為には、他者に対し「自分は敵ではない、味方である」という意思表示をせねばならない。

 
手っ取り早いのは、無条件で相手に「物」を与える事である。だが、物なら何でもよい訳ではなく、自らが大切にしている物か、若しくは相手が必要としている物に限られる。当然ながら無条件である以上、与えた相手に「見返り」を求めてはいけない。これは、親が我が子に注ぐ「愛情」に似ている。いわゆる「無償の愛」に等しい「贈与」である。

 
すると、受けた側の心には「感謝」の思いが募ってくる。「物」や「情愛」を与えてくれた相手に対して、その心の奥底から湧き出た「感情」を、好意の「言葉」に換えて示す必要がある。その時に発する「言葉」は、あまり長過ぎない単純明快な表現が適している。
そこで、「感謝」の念から生まれたのが、「ありがとう」の概念だったのではないか。

 

▍人類の叡智が育んだ魔法の言葉

そして「感謝」の念から生まれた「感情」は、もうひとつある。それは「恩義」だ。「恩」とは「売る」ものではなく、「買う」ものである。人としての道理は、恩を買ったからには、相手に返さなくてはならない。勿論、相手からの「見返り」を求めてはいけない。

 
恩を売る人間が見誤るのは、見返りは当然という概念だろう。自己中心的な思考回路に陥っていると、他者への畏敬の念は湧かないので感謝の念が無い。他者を敬う謙虚さを備えていない人の「口」からは、決して「ありがとう」の言葉は発せられないのである。    

 
更に、愚かな権力者達は、過去の経験則から学ぶことを忘れ「共有」よりも「占有」を選ぶ。強欲の赴くまま、なりふり構わずに「力」による暴挙に出る。残念ながら、殺戮や略奪を正当化する「戦争」からは、絶対に「ありがとう」は生まれない。

 
あくまでも推論だが、世界の各地域で「弱肉強食」から「共存共栄」の世界を築く過程で、人々が叡智を集めた結果、「ありがとう」の言葉が生まれたのではないだろうか。

 

因みに、我が社は「サンクスラボ」という社名である。文字通り『ありがとう』を「研究」していくという課せられた命題がある。社名に込められた「想い」に沿って、今後も多角的な視点から『ありがとう』を掘り下げてみたい。

 

Author:ブラックスワン
このエントリーをはてなブックマークに追加

オトナが遊べる!

出会えるオンラインゲーム!

50万人とおしゃべりしよう!

オトナが遊べる!出会えるオンラインゲーム!50万人とおしゃべりしよう!

MILU(ミル)では個人の情報を大切に保護しています。個人情報の取り扱いに同意されたうえで、メールアドレスを送信してください。

今すぐ無料プレイ!