手を伸ばしたその先で常に輝くもの

手を伸ばしたその先で常に輝くもの

asahi

Photo by / GATAG
 

▍形而下の経験から形而上的世界を学ぶ

「人はパンのみに生きるにあらず」という有名な聖句があるが、けだし至言だと思う。ここに出てくるパンはあくまで比喩で、人は物質至上主義的な価値観だけを追い求めて生きるのではなく、「神の御言葉」つまり精神的な拠り所が必要であるという教えである。よりわかりやすく理解してもらうために、いくつか例を挙げて紹介したい。

 

 

▍人は飢えを凌ぐより、未来への希望を渇望する

精神科医で心理学者であるヴィクトール・E・フランクルは、アウシュヴィッツ強制収容所での体験を著した『夜と霧』の中で、自らも死と隣り合わせの日々を送りながらも、職業的観察眼で極限状況に置かれた人間の行動を考察して、こう記している。

 
「毎日の食事は朝配られる一枚のパンのみ、それをすぐに食べるべきだと言う人々と、ひとかけらでも残して後で食べようと言う人々でちょっとした議論になった。結果、生き残った人が多かったのはポケットにパンを残していた人々だった。凍てつく道路を凍傷になった足を引きずりながら、重いツルハシを振り下ろして強制労働に従事する毎日。しかし、つらい一日の終わりにはパンが食べられるというささやかな「希望」がある。人は「希望」があれば生きていけるのだと。」

 

▍信念は絶望から希望へと導く

『一切れのパン』という小説には、ドイツ軍に捕まり貨物列車に押し込められた主人公が、脱走する際に年老いたラビ(ユダヤ教の聖職者)からハンカチに包まれた一切れのパンを渡される。「君はこの先いつ食べ物にありつけるかわからない、このパンはすぐ食べずにできるだけ長く持っていなさい、ハンカチに包んだままの方が食べようという誘惑に駆られなくてすむだろう、私も今までそうやってきたのです」と言い含められながら。そして命からがら逃げ延びて自宅へたどり着くと、「これが僕を救ってくれたんだよ」と妻に話して聞かせながら包みを開けた。ハンカチと共に床へ落ちたのは「一切れの木片」だった。「ありがとう、ラビ」と感謝して物語は終わる。

 
結果だけをみればラビは嘘をついたことになる。逃走中にあまりの空腹から包みを開けて木片が出てきたら絶望したかもしれないからだ。しかし主人公は「一切れのパン」を持っていることを心の支えに、ギリギリまで頑張ってみようと過酷な逃避行を生き延びることができた。ラビは彼ならそれができると見越していたのだろう。絶望を希望にかえられると。

 

▍内観することで、孤独は孤高へと昇華する

二つともパンが出てくる話になってしまったが「人はパンのみに~」のパンに関連付けしたわけではなく、思い浮かんだ逸話がたまたまそうなっただけである。 その他の例として、山崎豊子の小説『不毛地帯』のモデルとされる元大本営作戦参謀の瀬島龍三は、シベリア抑留中の独房生活に耐えられたのは、壁に自ら描いた仏様のおかげだったと、後年インタヴューに答えるかたちで述懐している。おそらく心の中で仏様と対話することが、孤独から逃れる唯一の方法だったのであろう。

 
反アパルトヘイト(人種隔離政策)運動の闘士で南アフリカ初の黒人大統領になったネルソン・マンデラも、国家反逆罪で終身刑を言い渡された後、27年にも及ぶ獄中生活を支えたのは一編の詩であったそうだ。2009年にウィリアム・アーネスト・ヘンリーによる詩『インビクタス』と同タイトルを冠した伝記映画が公開され、名優モーガン・フリーマンがネルソン・マンデラ役を演じている。

 

 

▍希望という陽のあたる場所を求めるよう初期設定されている

ことほどさように絶対的な飢餓状態や絶望的な状況にあってさえも、人は拠って立つところの精神的支柱をよすがとして生きようとする。「希望」や「心の支え」という実体の見えないものを希求する精神的生き物といえるだろう。

 

 

writer Noblesse Oblige

 

 

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